特殊神事
先 帝 祭
御祭神安徳天皇の御命日から3日間にわたり行われ「関の先帝、小倉の祇園、雨が降らねば金が降る」と古くから俗謡にもある如く祭礼日は数十万の人出で賑わい、下関の繁栄はこの先帝祭にあるといわれています。
その由来は壇ノ浦に平家滅亡の際、残された数多の女官上﨟達は赤間関在住の有志にたすけられ、山野の花を手折っては港に泊まる舟人に売り生計を立てる中に、先帝御命日を迎える毎に威儀を正して礼拝を続けたものが上﨟参拝の源です。
以来連綿として続けられ、官女に警固(けいご)・稚児が従い、上﨟に禿(かむろ)の従う美しい列立て、絢爛豪華なる外八文字道中は天下の壮観と称えられています。
5月2日
先帝祭御陵前祭
安徳天皇の御命日は旧暦3月24日ですが、明治改暦に際し新暦5月2日と定められました。御陵前祭はこの日に当たり安徳天皇阿弥陀寺陵で執り行われます。また午後には赤間神宮にて先帝祭前日祭・平家一門追悼祭が斎行され、全国平家会の参列があります。
5月3日
先帝祭上﨟参拝
まず午前中に大祭神事が厳修され、続いて平家太鼓など奉納行事が執り行われます。
午後、いよいよ上﨟参拝。街中を練り歩いてきた五組の上﨟は、境内に特別に設えられた天橋を外八文字を踏みながら渡り、御神前に進み丁重に拝礼を行います。海峡まつりの中でも最も注目される行事といえましょう。
5月4日
先帝祭御神幸祭
伊崎町には小門お旅所があります。壇ノ浦合戦後、中島四郎大夫正則という武士は漁師となりましたが、安徳天皇の御尊骸を漁の網に引き揚げ、仮奉葬したという地です。以来中島家は例年先帝祭に参拝を続け、今日に至っています。この日は御鳳輦を中心に行列を仕立て赤間神宮からお旅所まで御神幸を行います(近年は諸事情により行列は中止)。